聖ニコラウス祭は子供たちが楽しみにしているクリスマスプレゼントをもらう日です

12月24日には、カトリック地域ではサンタクロースではなくクリスト
キントがプレゼントを持ってきて、プロテスタント地域ではクリスマス
おじさんがプレゼントをもってきます。
世界的に知られている今日のサンタクロースは、17世紀にオランダ
から移民とともにアメリカに渡った聖ニコラウスが、250年をかけて
変形を遂げてきた末にできあがった形であります。
ニコラウスは3世紀後半に生まれ、トルコ西部の司教となり、その後
聖人となり12月6日がその祝日となっています。
伝説的な人間で、三人の娘を結婚させるお金のない父親の嘆きをたま
たま聞いたニコラウスが気の毒に思って、夜になってからその家に
金塊を三つ投げ込んだら、それが娘たちの靴に入ったというのです。
聖ニコラウスは手に羊飼いの杖と三つの金塊を持った姿で描かれる
ことが多いのです。
そして、聖ニコラウスやサンタクロースのプレゼントが靴もしくは
靴下に入れられるのも、この伝説からきているのでしょう。
ドイツでは、16世紀中ごろまでは、聖ニコラウス祭りが開催されて
いました。
この日のは、動物の形をしたパンが子供へのクリスマスプレゼントになって
いたのです。
北ドイツ一帯はその後はまもなくプロテスタント地域となります。
マルチン・ルターは聖人崇拝を否定しており、12月6日の聖ニコラウス
祭を廃止することを考えましたが、子供たちが楽しみにしている
クリスマスの贈り物の日をなくすことはできなかったらしいのです。

クリスマスプレゼントは音楽イベント

ドイツやオーストリアのアルプス地方には、ヨーデルやチターなどの
民族楽器の演奏を伴うクリスマス劇があります。
その代表的なものがザルツブルクのアドベントジンゲンですね。
これはなにかといいますと、ザルツブルク方言で行うキリスト降誕
の音楽劇です。
夏のザルツブルク音楽祭ほど国際的ではありませんが、クリスマス前
の音楽イベントとしてドイツ語圏でに人気が高いのです。
以前から、歌が得意な人々がグループを作り、クリスマスシーズンに
キリストの生誕を音楽劇として演じていました。
こうしたグループは12月24日に自作のクリスマス曲を演じることも
あって、このような習慣は「きよしこの夜」ができる下地にもなって
います。
自分が子供の時に経験したアドベントの喜びを、町の人々にも味わって
もらいたいと思っていました。
家族や友人のためにクリスマスの余興として始めたアドベントジンゲン
ですが、徐々に人気が高まり、ザルツブルグの祝祭劇場で公演を行う
までになりました。
羊飼いに扮したザルツブルクの子供たちや地元の有名な合唱団がいくつ
も出演するアドベントジンゲンには、いつのまにかオーストリア内外
から観客が訪れるようになりました。
ドイツでは、夏休みが終わる頃からチョコレートでできた聖ニコラウス
あるいはクリスマスおじさんがお店に並び始めます。
カトリック地域では12月6日は聖ニコラウスの祝日で、12月5日の晩
に子供たちはお菓子やナッツ、リンゴやオレンジ、おもちゃを聖ニコラウスからもらいます。

内職でクリスマスプレゼントを作る楽しさ

仕事ができない冬の間には内職として、厚紙やブリキに絵を描いて
家庭用の生誕シーンを作成し始めます。
型押しが普及して、さらにポップアップ式のもの、劇場風の作りで
奥行のあるもの、一部に薄紙を利用して後ろにロウソクを置いて
照らし出すものなど、豪華な作りのものも登場して、クリスマスツリー
の下に飾られるようになりました。
この生誕シーンは、南米、アフリカ、中国など、キリスト教が伝播
した世界各国にその国の文化を反映させた形で存在し、中国では
竹製の生誕シーンなども作成されました。
ナポリの生誕シーンは圧巻で、キリストの生誕シーンのみならず
当時の人々の生活を細部に至るまで精彩に映し出しています。
さてさて、この生誕シーンは通常は、教会や家庭ではアドベント期間
に作り始めます。
まずは、馬小屋や草地、木々を設置し、次に羊、その次に羊飼いと犬
それから聖家族と、段階的に少しずつ人形を加えていきます。
さらに1月6日には三王とラクダがこれに加わりました。
羊などは毎年少しずつ買いたす人もいます。
中には、毎年のクリスマスにはリビングルームに畳二枚分ほどの板を
持ち込み、みごとな生誕シーンを作っていました。
羊だけで百匹いることが自慢だったようで、奥さんはリビングルーム
が一か月使えなくなることをぼやいていました。
復活祭劇、受難劇などの宗教劇の一種として南ドイツやオーストリア
では、キリストの降誕を主題とした劇がアドベントから1月6日の公現祭
までの間に、劇場、学校、あるいはクリスマス市の会場などで演じ
られます。

クリスマスツリーの見事な華やかさ

教会は啓蒙活動の一環として、生誕シーンを子供だましとして厳しく
罰することになりました。
しかし、信者たちは、教会の貴重な生誕シーンを自宅に持ち帰って
保存しました。
やがて、同様の生誕シーンを自分の家にもほしいと思う信者が増加して
家庭用の生誕シーンが普及してきました。
特に、チロル地方では多数の家庭用生誕シーンが作成されました。
さらに、石膏や紙粘土などの素材で作られた生誕シーンが出てくるようになりました。
また、生誕シーンはもともとはカトリックの習慣でありましたが、
19世紀後半にクリスマスツリーが普及してくるようになると、
プロテスタントの習慣であるツリーの足元にこの生誕シーンを置くこと
がプロテスタント地域でも一般化しました。
クリスマスツリーの足元を柵で囲って、苔を敷いた上に石膏の人形
を置き、箱庭のような生誕シーンを作ったり、クリスマスツリーの
下に紙製の小さな生誕シーンを置いたりしました。
紙に印刷された生誕シーンはすでに発売されていました。
これは、銅版画で刷られた聖家族や動物を自分で切り抜き、それを木片
に貼りつけ、紙の馬屋にセットするものでした。
やがて、ドイツやオーストリアの有名な一枚絵であるグリム童話など
を一枚の紙にカラー印刷したもののが他のメーカーでも印刷を始め
たので多色塗りの切り抜き用生誕シーンを売り出しました。
多くの家庭がこういったセットを購入して生誕シーンを作って部屋に
飾っていました。

上流階級のクリスマスプレゼントと模型

カトリックの家庭では、生誕シーンがクリスマス祭事の中心であった
ので、アルプス地方では、山小屋に木彫りの人形などを配したものや
木箱に入れたミニチュア風のものなど、素朴ながら工夫をこらした
生誕シーンがいろいろ作られました。
その生誕シーンは17世紀後半にはナポリの王侯貴族の間で高潔な
趣味、あるいはステータスシンボルとして別の発展を遂げました。
当時は、世界で最も豪華な生誕シーンと呼ばれていたナポリの生誕
シーンは、他の地域での家庭用生誕シーンとは違って、専門の職人
が注文を受け、一年をかけて作り上げた豪華絢爛たる世界であり
ます。
作成依頼者の友達、知り合い、親類など身近な人々に似せて作られた
登場人物があり、楽器は本物のミニチュアを楽器職人が作成しました。
ナポリ人には独特の趣味があります。
それは、クリスマスにはどこの教会でも見られるキリスト生誕の小さな
模型で、基本的に羊飼いと天使と王たちの礼拝を表現し、全部そろって
いるものもそうでないものもありますが、金銭的には多額をかけて
組み立てたものです。
気候がたいへん良いナポリでは、模型は平らな屋根の上にまで設置され
常緑樹や枝で飾った簡単な小屋のようなものを作って、聖母や幼子
周囲に並べられた人物や宙に浮いている天使などが、大金を注ぎこん
だ衣装をつけて、豪華に飾られています。
しかしながら、全体をことのほか美しく見せているのは、ベズビオ火山
とその周辺を含む背景です。
クリスマスまでの楽しみは尽きることがありません。

生誕シーンはクリスマスプレゼントに欠かせない行事

生誕シーンは11世紀から、教会や修道院で制作されてきました。
ただし、それらはすごく簡単なものでした。
聖フランチェスコは、当時自分が住んでいたイタリア中部の町のグレチョで、文字の読めない人のためにロウで制作した等身大のイエス
の人形を岩屋に置き、床にはワラを敷き、本物の牛やロバをそばに
配し、キリストの生誕シーンを作りました。
そそて、夜にはロウソクを灯して、ベツレヘムの羊飼いたちが星に
導かれてイエスを訪ねたように、近くに住む人々がその岩屋を
訪ねてきたのです。
フランチェスコは牛や馬、ロバを使ってキリスト生誕の場所を再現
して、その前で救世主誕生の説教を行いました。
説教の途中で、一人の騎士はフランチェスコの作成した馬小屋に
幼児イエスが実際に出現したのを見ました。
フランチェスコがイエスの人形を抱き上げると、本当にその人形が
動いたように見えたと言われています。
サンピエトロ広場をはじめ、イタリアには大型の生誕シーンが多い
のです。
それはなぜかというと、聖フランチェスコが設置した等身大人形に
由来するのです。
このフランチェスコが企画した生誕劇以来、生誕劇や生誕シーンが
周辺の教会や修道院に伝わり、徐々にイタリア各地やスペイン、
チロル地方や南ドイツの教会や宮廷にも広まりました。
教会や宮廷では、南国にある風景を背景にしてバロック風の衣装を
きた豪華な生誕シーンが重宝されて、専門の作家が作成に参加しま
した。

サン・ピエトロ広場でのクリスマスプレゼント授与式

ミニチュアにはグリム童話の登場人物シリーズやパン屋、肉屋、煙突掃除などの職人たちが描かれているクリスマスツリーも見かけました。
ベツレヘムの馬屋にぞんざいしているマリアとヨゼフに幼児キリスト
の聖家族、および牛にロバ、羊飼いに三人の王者などなど。
イエスキリストの生誕シーンの模型は、日本語では「うまや」。英語
ではクリブ、ドイツ語ではクリッペ、イタリア語ではプレゼピオなどと
呼ばれています。
アドベントの期間はドイツのカトリック地域では、自宅に中に生誕
シーンを設置する家庭があり、クリスマス市やホテルなどでも見かけ
ますが、発祥地はイタリアです。
バチカン市国にあるサンピエトロ広場には、毎年のように高さが十メートルもの生誕シーンが設置されます。
家屋の建築現場なみの足場を組み、クレーンで建材をくみ上げて、
なんと完成するまでに数週間はかかるのですよ。
そして、その隣には、三十メートル近いクリスマスツリーが立って
います。
クリスマスツリーのもともとの習慣がプロテスタントであったのに対し
て、生誕シーンはカトリックの習慣であります。
しかし、現在ではカトリックの総本山の広場にカトリックの生誕シーン
とプロテスタントのツリーが立ち並び、その前でクリスマス当日には、
ローマ法王が広場を埋め尽くした世界全体に対して、あらゆる言葉
で「クリスマスプレゼントおめでとう」と述べるのです。
その様子はテレビ中継され、ヨーロッパでは有名教会行われるミサ
の中継や皇族や首相のクリスマスの挨拶と並んで、クリスマス当日
には不可欠なテレビ生番組中継となっています。

宗教色の色が濃いクリスマスプレゼント

町にはクリスマスツリーが運びこまれて、多くの人々は奪い合う
ようにして買っていくのです。
ドイツ人というのは、どんなに筋肉隆々でたくましい人だとしても
、がさつで不誠実な人であろうと、クリスマスプレゼントに対しては
子供じみた熱烈な愛着を抱いています。
誰もかも今年のクリスマスを平和だった時のクリスマスと同じように
しようと、けなげに工夫を凝らしています。
今でも、ドイツ人にとっては、ツリーはクリスマスにはなくては
ならないものです。
我が家に代々伝わる飾りを大事に使う人、あるいは毎年違った飾り
を購入する人などいろいろいますが、クリスマスツリーを飾らない
家はおそらくないといっても過言ではないでしょう。
工事現場でさえ、クレーンの先端に電飾付きのツリーを立てている
ことが頻繁に見られます。
どうやってあの高いクレーンの先にツリーを立てたのだろうかと
毎年のように不思議な気分で、かつほほえましく思います。
一般的にクリスマスツリーを片づけるのは、1月6日の公現祭が過ぎて
からですが、最長で2月2日のマリアの清めの日までは飾っていて
もいいらしいですね。
一節では、クリスマスから宗教色をなくして、クリスマスをゲルマンの
冬至祭と呼んだりして、ゲルマンの風習を復活させようとする試み
もあったそうです。
また、普通のガラス玉ではなくて、少し平べったいガラス玉も作成
されていました。
ミニ本やミニチュアをツリーに飾る家もありました。

主役のクリスマスプレゼントの下に配置するツリーの秘密

ベルは古代ヨーロッパでは、冬至の厄払いに使用されていたものの
名残です。
白い鳩は聖霊のシンボルとされていました。
また、鳩は魂、平和、無垢、優しさ、純潔のシンボルでもあります。
バチカンのサンピエトロ大聖堂のステンドグラスのように、教会
のステンドグラスには必ずといっていいほど鳩が描かれています。
ある家庭では、部屋の天井の隅に木彫りの鳩をつるしたりもします。
コマドリ憐みの象徴であり、キリストの十字架から釘をはずそうとして
突き刺され、胸が赤くなったと言われています。
クリスマスツリートップの飾りはベツレヘムの星を表す大きな星、
天使の人形、ガラス飾りなどが使わられます。
当初は、クリスマスツリーは砂をつめた桶や木箱に入れるか、板に
くぎで打ちつけるかの方法で支えられていました。
19世紀後半に鉄製スタンドが登場します。
キリストの庭と呼ばれるツリースタンドは、ツリーの足元に柵をめぐ
らし、生誕シーンのセットを配して小さな庭のように作られたもの
です。
その後は、生誕シーンを兼ねたスタンドやオルゴール付きのスタンド
など、豪華なツリースタンドも登場します。
これらは当時の労働者の一か月分の給料に相当したそうであります。
いずれも、ツリーもクリスマスプレゼントと一緒にテーブルの上に
置いていたために、目線が行く足元をカバーする目的で作られました。
戦場の兵士に送ったり、ドールハウスに入れたり、ショーウィンドー
の飾り用としてミニツリーも作られました。

ドイツのクリスマスプレゼントの生産地を訪ねる

ラウシャで作るガラス玉や飾りは有名になり世界の市場を独占しま
した。
ヨーロッパだけでなく、ハンブルクを経由して世界中に広がり、特に
アメリカに浸透していきました。
ラウシャの女性たちが、ガラス玉を運んでいました。
ガラス飾り以外にも、近隣で生産される木のおもちゃやビスクドール、
ドールハウスなどを運んでいました。
まさにクリスマスの必需品はほとんど集められていました。
ドイツでは産業力が衰えたといっても、ブリキのおもちゃやクリスマス
の飾りなど、特にアメリカ向けに日本でも作られることになりますが、
それでもなおクリスマス飾りはドイツが世界一のシャアを握っていま
した。
ガラス細工の発達とともに、金属や綿、紙などの素材も加わって、
その後に、クリスマスツリー飾りにいろんなモチーフが加わるように
なりました。
ワラの星は、占星術師を幼児キリストのもとに導いた星を表します。
またワラは幼児キリストが寝ていた飼い葉桶を意味しています。
天使は、新約聖書のマタイ、ルカの福音書にイエスキリストの生誕
が記載されています。
礼拝者の導き手に記載の仕方の異なる点があります。
マタイでは星が、ルカでは天使の一群が、占星術師や羊飼いを生まれた
ばかりのイエスキリストのもとに導いていきます。
しかし、いずれにしても星も天使も、イエスキリストの誕生と深い
結びつきを持っています。
天使は楽器を演奏しながら天から降りてきます。
そのため楽器はそれ自体で天使を表現します。